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東京高等裁判所 平成8年(う)766号 判決 1997年1月31日

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、検察官佐々木博章作成名義の控訴趣意書及び弁護人山岸憲司、同今村哲が連名で提出した控訴趣意書に、検察官の控訴趣意に対する答弁は弁護人両名が連名で提出した答弁書に、それぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する。

そこで、所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも加えて検討する。

第一  弁護人の控訴趣意中事実誤認の論旨について

論旨は、原判決の認定によると、被告人は、妻の春子から激しく罵るように言われ、抑えてきた憎しみが遂に極まり、とっさに殺意を抱き、春子の首に巻かれたロープを両手で思い切り引っ張ってその首を絞め、春子が被告人の手を掴み引っ掻いたものの、なおロープを力一杯引っ張って絞め続けるなどして窒息死させて殺害したというのであるが、被告人は、当初は脅すつもりでロープを引っ張ったところ、春子が被告人の手を掴んで引っ掻いたため、激情を極まらせて殺意を生じ、絞め続けるなどして殺害したものであり、原判決は、殺意の発生状況及び時期について事実を誤認しており、右誤認は罪となる事実の認定の誤りとして判決に影響を及ぼすのみならず、刑の量定にも影響を与えるものであるから、判決に影響を及ぼすことは明らかであるというのである。

そこで検討するに、春子殺害の犯行状況については、殺意の点を除き、概ね、原判決が「罪となる事実第一」において判示するとおりと認められる。一部付加してその概要を示すと、次のとおりである。すなわち、被告人は、平成六年一〇月二九日午前四時頃、居間のソファで寝ていたところを春子に起こされ、病院を辞めるかどうかで激しい言い合いとなり、午前五時三〇分頃、春子が包丁とロープを持ち出し、殺してくれと言いながら、自分の首にロープを一巻きにし、ソファの上に立たせた被告人にロープを手渡し、ソファの上から飛び降りたが、被告人がロープを持つ手を下げたため、首が絞まるに至らなかった。春子は「殺さないんだったら明日本当に病院へ行くわよ。あんたが私のこと目茶苦茶にしたんだから、あんたも目茶苦茶にされて当たり前よ。何で殺してくれないのよ。」と激しく罵ったため、被告人は、ソファから右足を床に下ろし、春子の背後から、右手に持ったロープを一巻きした上、思い切り両手で引っ張ったところ、春子が「ウッ」といって必死に被告人の右手を掴み引っ掻いたのに、そのまま絞め続け、春子の爪を立てていた手が離れて垂れ下がったところでロープから手を離した。床に崩れ落ちた春子が大きな息を吸ったのを見るや、被告人は、同女に馬乗りとなり、両手でその鼻と口を押さえ続け、窒息死させた。

被告人は、本件で逮捕される前日の同年一一月二四日警察の事情聴取に対して、「私がやった事」と題する上申書を作成し、ロープで脅かすつもりで、一〇秒から二〇秒程、首を絞めたら、意識を失い、呼びかけに反応せず、浅い呼吸となってしまい、自分のした事が怖くなり、鼻と口を手でふさいで殺したと供述し、翌二五日検察官の弁解録取の際にも、最初は脅すつもりで、右手のロープを手に一巻きして握りしめ、グッと力を入れ首を絞めた、春子は「ウッ」と言って、必死に被告人の右手を爪で引っ掻き、血が流れた、このときこれまでの言い合いなどで頭がカーとなってしまってこのまま殺してやろうという気持が出てきたためだと思うが、一〇秒くらいそのまま首をギューと絞め続けたと供述し、その後の司法警察員及び検察官に対する供述調書においても同様の供述をしている。このうち一二月五日付けの検察官に対する供述調書においては、春子のヒステリックな言葉に我慢できなくなり、春子の首を一瞬ギューと絞めてすぐ離し、本当に殺されて死ぬというのがどれほど怖いものか教えてやろうと思った、一瞬ギューと絞めて脅してやれと思った、ソファの上に立っていたのでは足場が不安定で、絞めるとき力を入れにくいと思い、右手に持ったロープを一巻きしながら、右足だけ床に下ろし、思いっきりギューとロープを引っ張って絞めた、春子は「ウーウ」と言いながら、右手で被告人の右手を掴み、爪で強く引っ掻き、やめてという意思を伝えているのが判ったが、完全に頭にきていたので、このまま殺してやれというつもりになった、押さえつけていた気持が一気に爆発して噴き出した、そのまま力一杯ギューと一〇秒くらい首を絞め続けたと供述している。被告人は、原審公判廷においても、捜査段階と同旨の供述をし、当審公判廷においても右供述を維持している。

ところで、首をロープで絞める行為は、殺意を推認させる有力な間接事実といえるが、殺人以外の目的による場合もあり得ないわけではなく、首を絞めたからといって直ちに殺意が存するものとはいえない。被告人は、右足をソファから床に下ろし、右手にロープを一巻きした上、春子が声を出せなくなるほどの力でロープを両手で引っ張ったのであるから、その段階から殺意のあった疑いが強いが、他方、本当に殺されることがどれほど怖いか脅してやろうと考え、思い切り首を絞めたところ、抵抗にあって憎しみが増幅され、殺意を抱くこともあり得ることであって、被告人の殺意に関する供述が不合理とまではいい難い。被告人は、逮捕当初は、ロープの購入等に関して一部事実を隠していたが、その後事実関係を全面的に供述し、捜査段階及び公判段階においてほぼ一貫した供述をしており、その内容には、関係証拠と齟齬する点もなく、信用性を疑うべき事由は認められない。そうすると、原判決が、被告人の供述を全体としては信用できるとみながら、殺意の発生状況及び時期についてのみその信用性を否定したのは、合理的根拠を欠くものといわざるを得ない。

以上の次第で、被告人は、春子の罵るような言葉を聞き、本当に殺されるのがどれほど怖いか判らせてやろうと脅しのつもりでロープを思い切り引っ張ったところ、春子から右手を爪で引っ掻かれたため、それまで抑えてきた憎しみが遂に極まり、とっさに殺意を抱き、ロープを力一杯引っ張って絞め続けるなどして同女を窒息死させたものと認めるのが相当である。そうすると、原判決が、被告人は、春子の罵るような言葉を聞き、何とか抑えてきた憎しみが遂に極まり、とっさに殺意を抱いたと認定したのは、誤りであり、原判決には、春子に対する殺意の発生状況及び時期について、事実の誤認が認められる。

次に、判決への影響について検討するに、被告人には、前記のような殺意が認められるのであるから、殺意の発生状況及び時期について原判決の認定との間に右の程度の誤りがあるからといって、構成要件的評価に何等差異を生じるものではないし、犯情においても量刑に影響するほどの違いは認められないから、原判決の右の誤りは判決に影響を及ぼさないということができる。

所論は、被告人の春子に対する殺意は、同女の挑発的言動だけでなく、これに加えて同女の爪を立てるという有形的な行動に触発されて生じたもので、殺意の発生には、二重に衝動性、偶発性、突発性が認められ、内容的にも希薄であり、明確な意識の下に殺人の実行に着手した事案とは、量刑において区別されるべきであるから、原判決の事実の誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであると主張する。しかしながら、右にみたように、春子は、被告人が脅しのためにロープで絞めた直後に爪を立てているのであり、そのような行動は、被告人の行為から自分の生命を守るための防御行為で、かつ当然に予想されるものであるから、それが被告人の殺意を触発させたからといって、所論のいう春子の挑発的言動のみによって殺意が生じた場合と比較して、量刑上格別差異を生じさせる事情とはならない。また、被告人は自らロープで春子の首を絞めていることを認識しながら、力を加えており、これはまさに確定的殺意に基づく行為というほかなく、殺意の内容が希薄であるなどとは到底いえない。論旨は理由がないことに帰する。

第二  量刑不当の論旨について

検察官の論旨は、要するに、被告人を死刑に処さなかった原判決の量刑は軽過ぎて不当であるというのであり、弁護人の論旨は、要するに、被告人を無期懲役に処した原判決の量刑は重過ぎて不当であるというのである。

一  本件の概要

本件の概要は、春子に対する殺意の点を除き、概ね、原判決が「犯行に至る経緯」及び「罪となる事実」において判示するとおりと認められるが、一部訂正付加して概要を示すと、次のとおりである。

1  被告人は、昭和四〇年一月二八日農業をしている家庭の次男として生まれ、同五九年筑波大学医学専門学群に入学し、平成二年三月に同大学を卒業し、医師免許を取得した後、同年六月から同大学附属病院に研修医として勤務した。

甲野春子は、昭和三八年八月五日会社員の家庭の長女として生まれ、高校卒業後専門学校に入学したが、同五八年一月高校時代から交際のあった男性と結婚して、専門学校を退学し、その後二子をもうけた。しかし、昭和六三年五月頃子供を連れて別居し、平成元年三月離婚し、同年一〇月頃からつくば市内の病院で看護助手として働いていた。

2  被告人は、大学在学中から女性と交際して肉体関係を持つようになり、そのうちの一人とは特に親しくしていたが、平成二年八月頃春子と知り合い、間もなく肉体関係を持つようになった。被告人は、三〇歳を過ぎるまでは結婚せず、それまでは多くの女性と自由に遊びたいとの気持をもっており、春子との交際も遊びのつもりでいたため、春子が年上で離婚歴もあることを知って驚いたものの、その後も交際を続け、春子の子供二人を前夫が引き取って育てるようになったこともあって、同年秋頃からは被告人のアパートで同棲に近い生活をするようになった。被告人は、平成三年に入って春子に妊娠中絶をさせたが、春頃再び妊娠を告げられ、今度は春子が出産を強く望んだため、結婚はしないが認知はするとの了解の下に同年一一月一八日春子は女児を出産した。いざ子供が生まれてみると、被告人は、子供が可愛くなり、春子の態度も結婚を迫ってくることなくしおらしく思えてきて気が変わり、同月三〇日婚姻届と子供(花子)の出生届を出した。

3  被告人は、翌一二月一日から日立市内の病院に単身赴任したが、その直後から、自由に遊べなくなったなどと婚姻届を出したことを後悔し始め、やがて春子に巧く騙されたのではないかとの思いが強くなり、春子に対する思いやりの気持が冷めていくのを感じた。被告人は、平成四年一月頃から勤務先の看護婦達と情交関係を持つようになり、益々春子から心が離れていって、浮気の頻度も増し、週末にも自宅に帰らないことが多くなった。被告人の浮気を知った春子は、被告人を問い詰めたり、浮気相手の女性を電話でなじったり、被告人の行動を探ったりするようになった。被告人は、そうした春子を疎ましく思い、その場その場を糊塗していたが、浮気を止めようとはしなかった。

被告人は、同年七月から筑波大学附属病院に戻って、妻子と同居生活を始め、同年一〇月から守谷町内の病院に勤務し、つくば市内に一戸建て住宅を借りて生活するようになったが、同年一一月頃妊娠していた春子に切迫流産のおそれが生じたため、被告人の勤める病院に入院させ、その後は被告人が一人で花子の世話をした。春子は平成五年二月一八日に長男太郎を出産した。

被告人は、平成五年四月から父親の伝手で猿島町内の私立病院に勤務することとなり、月収が手取りで約一〇〇万円になり、四〇万円を生活費として春子に渡しても潤沢な小遣いが手元に残るようになったこともあって、同年六月頃から再び、勤務先の看護婦達と次々と浮気を重ね、夫婦仲は一層険悪となった。

春子は、被告人の帰宅が遅くなるなどしたため、被告人を問い詰めて責め立て、被告人も、言い訳が通用しなくなると、春子が我が強く経済観念が悪く、家事や育児を疎かにするなどの不満を有していたことから、夫婦喧嘩の際その思いを口に出して攻撃したが、春子はかえって反発、逆上し、喧嘩が激しくなるばかりであった。そして、被告人が喧嘩の際、春子が稼いでいないと言ったことから、春子は平成六年八月頃からホステス、カラオケのコンパニオン、深夜の医療検査補助のアルバイトをするようになり、一層家事や育児が疎かになった。

このように、被告人らは、夫婦喧嘩を繰り返し、互いに不満を述べるのに急で、愛情はないという言葉を口にして憎しみをぶつけ合い、時には暴力が出ることもあり、互いに譲らない状況になっていった。

4  被告人は、以前から関心を寄せていた勤務先の看護婦の乙川と平成六年八月頃から肉体関係を持つようになったが、同女に対して、妻と離婚して結婚したい、妻とは近く離婚できるなどと甘い言葉をかけていた。同年九月上旬被告人は乙川と外泊したことで乙川の名前を明らかにすることを余儀なくされ、春子が乙川に直接会ったところ、乙川から被告人と結婚したいと言われ、興奮した春子は、被告人に絶対離婚しないと言う一方、乙川の母親に慰謝料を請求するなどと電話をした。また、春子は、被告人の父親に相談し、被告人も父親から厳しく意見をされたが、その態度を改めることはなかった。春子は、被告人に勤務先を辞めるよう迫るようになり、被告人は、そのうち乙川とは別れると言い逃れをする一方では、乙川に対し、同年一〇月一〇日頃、絶対女房と別れて一緒になるから、後一箇月待ってくれなどと告げていた。

これより先の同年九月半ば頃から、被告人は、春子の気持を荒立てないために、休暇を取って家族旅行に出かけるなど家庭サービスに努めたが、同年一〇月一八日、春子が病院を辞める話はどうなったのかと話を蒸し返したため、春子の気持が固いことを知り、春子の機嫌を取って家庭を維持していく気持もなくなり、離婚ができないのであればいっそのこと春子が死んでくれればいいとの思いを抱くまでになったが、事あるごとに怒りが込み上げるため、喧嘩になれば理性を失い何をするか判らないという心境になり、その後は、喧嘩をしないように努めていた。

同月二三日、被告人が職場旅行から帰ってきたところ、春子が土産を買ってきても愛情が感じられないと愚痴ったことから、喧嘩となり、被告人が「愛情があるわけでなく離婚もできないので、仕方なく一緒に生活を続けているのだ。」と本心を吐露したところ、怒った春子が、被告人を刺して自分も死ぬと言って、包丁を持ち出し、屋外まで被告人を追いかけ回した。その真夜中にも、激しく言い争ううち、春子が「死ねばいいんでしょう。殺して。」などと叫び、包丁を自分の首に当てて被告人の方に倒れ込んだりしたが、被告人は、春子が嫌がらせをしているに過ぎないと考え、益々険悪の情を募らせた。この激しい喧嘩をした以降、春子は気力を一層無くしたように家事を殆どしなくなり、被告人が帰宅途中弁当等を買ってきて、夕食とするようになった。他方、被告人は、乙川に対し、同月二四日頃、春子との離婚がまとまった、本当は子供なんか可愛くないんだと話したりしていた。

同月二六日、花子が家の近くを徘徊し、近所の人に自宅まで送ってもらっても自分の家はここではないと言っていたと春子から聞いた被告人は、衝撃を受け、子供達のために家庭を維持していこうと考えたが、春子が責任を感じていないように思われ、怒りを新たにした。

5  被告人は、同月二七日当直で勤務先に泊まり、翌二八日も勤務をした後、春子に頼まれていた犬小屋を修理するためロープやガムテープなどを買い求めて帰宅した。その後夫婦でコンビニエンスストアに弁当を買いに行き、家族四人で夕食を摂り、春子や子供らが二階に上がった後も、被告人は、一階居間でテレビを見るなどしているうち、そのままソファで眠ってしまった。翌二九日午前四時頃、春子に起こされ、ソファの側に立った春子が、「私と一緒に寝るのが嫌なの。」と絡むようにきつい口調で言ってきたたため、被告人は、むっと来て怒りが込み上げ、家の中が散らかり放題であり、食事など子供の面倒を満足にみていないことや、深夜までアルバイトをすることなどを非難し、春子を責めると、春子も、「借金があるから働いている。何時離婚すると言い出されるか判らないので働くのを止められない。」と言い返し、更に興奮して、被告人の女性関係を持ち出しわめきながら、被告人の手を引っ掻くなどし、被告人も、好きでないのに一緒に居てやっているのになどと言い放ち、引き続き二人の間で、「病院長に直接話して被告人と看護婦の二人とも辞めさせてやる。」「今辞めれば働くところがなく、皆で暮らしてゆけなくなる。」などと激しい言い争いがかなりの時間続き、遂に、被告人が「もし、病院へ行ったら、ぶっ殺してやるからな。」と怒鳴った。その後しばらく沈黙が続いたが、午前五時三〇分頃、春子が台所から包丁と前日被告人が買ってきたロープを持ち出し、殺してくれと言いながら、自分の首にロープを一巻きにし、被告人をソファに立たせて、そのロープを手渡した。春子は、自分もソファに上がり、「ロープをちゃんと持ってて、死んであげるわ。」と言いながらソファから飛び降りたが、被告人がロープを持つ手を下げたため、首が絞まるに至らなかった。春子は「殺さないんだったら明日本当に病院へ行くわよ。あんたが私のこと目茶苦茶にしたんだから、あんたも目茶苦茶にされて当たり前よ。何で殺してくれないのよ。」と激しく罵ったため、被告人は、本当に殺されるのがどれほど怖いか判らせてやろうと脅しのつもりで、ソファから右足を床に下ろし、春子の背後から、右手に持ったロープを一巻きした上、思い切り引っ張ったところ、春子が「ウッ」と言って、必死に被告人の右手を掴み引っ掻いたため、それまで何とか抑えてきた憎しみが遂に極まり、とっさに殺意を抱き、ロープを力一杯引っ張って絞め続け、春子の爪を立てていた手が離れて垂れ下がったところでロープから手を離した。床に崩れ落ちた春子が大きな息を吸ったのを見るや、被告人は、馬乗りとなり、両手でその鼻と口を押さえ続け、春子(当時三一年)を窒息死させた。

6  被告人は、春子殺害後茫然とし、しばらく人殺しをしてしまった、自分の人生も終わりだなどと思いつつ過ごしたが、子供らのためにと維持してきた家庭も虚しく壊れ、母親を失い、父親がその殺人者となってしまった子供の将来を思い、可哀想だ、不憫だと考え、かねて春子が憎いと考えていた当時、子供を春子と切り離して考えることができず、子供が邪魔だという気持が心の片隅にあったこともあって、子供らを殺害することを決意した。

そこで、被告人は、春子の首から外したロープを持って、二階寝室に赴き、午前六時頃から八時頃までの間に、まず、うつ伏せに寝ている太郎(当時一年)の首にロープを巻いて引っ張り、体を持ち上げながら絞め続けて窒息死させ、次いで、寝ている花子(当時二年)をうつ伏せにして、首にロープを巻いて引っ張り、その体を持ち上げながら絞め続け、床に倒れたところをハンカチ様のものでその鼻と口を押さえ続けて、窒息死させた。

7  被告人は、その後自殺しようか自首しようかなどと考え、決断がつかないうち、午前九時過ぎになっているのに気付き、自殺の気持も失せ、春子の死体を二階寝室に運んだ上、勤務先へ遅れて出勤した。

同日午後帰宅途中、自首する気持も完全になくなり、犯行を隠蔽するためには三人の死体を海に投棄するほかないと考え、自宅に着くと、春子の死体にスカートをはかせたうえ、ビニール袋を被せてガムテープで貼り合わせ、ロープで縛って梱包し、重しとして鉄亜鈴二個を結び付け、花子の死体、バスタオルで包んだ太郎の死体を同様に梱包して鉄亜鈴各一個を結び付けて、投棄する準備をした。

被告人は、同日夕方からアルバイト先の病院で当直勤務を行い、翌三〇日午後帰宅したが、死体の処分は夜間に行おうと考え、それまで自宅に居たくなかったので歓楽街へ行って時間を過ごすことにし、新宿に赴いた。被告人は、死体に取り付けた重しが不十分と考え、鉄亜鈴四個を購入した後、ストリップを見、更にソープランドで遊興してから午後一一時頃帰宅した。

被告人は、買い求めた鉄亜鈴二個を春子の死体に、各一個を子供の死体に結び付けた上、自家用自動車の後部座席に春子の死体を、トランクに子供の死体を積み込み、翌三一日午前零時五〇分頃自宅を出発し、横須賀方面に向かって高速道路を走行していたが、死体を積んでいるのが露顕するのをおそれて早く投棄したいと考え、同日午前二時頃、京浜運河上にかかる橋の上で死体を投棄しようと決意して自動車を停止させ、海面から約二〇メートルの高さの同所から各死体を海中に投げ入れた。

8  被告人は、帰宅途中春子の死体に被せていたタオルケットを川に投げ捨て、その後は平常どおりの生活をしていたが、一一月二日、一〇月二九日以降春子と連絡がとれないため不安を抱くに至っていた春子の母親に電話をかけ、妻子が所在不明になったと説明した。春子の母親から警察に届けを出すように促され、被告人は、妻子の家出を装い、翌三日には、警察に家出人捜索願いを出した。被告人は、同月二日から五日にかけて、春子のクレジットカード、同女が持ち歩いていたバッグ、死体を梱包する際に用いた鋏などを次々と投棄し、罪証隠滅工作を行った。

また、被告人は、一一月一日には乙川との北海道旅行を旅行社に申し込み、同月三日には乙川と会い、春子らが家出をしたこと、家出の理由として考えられることを説明したほか、本件前に注文していたダイヤの指輪やネックレスを同女に手渡し、その歓心を買うなどの行動を続け、春子の死体が発見されたことを知った翌四日には、同女に電話をかけ、警察が来ても知らないと言っていいと口止めを頼んだ。

9  一一月三日から一二日にかけて、春子らの死体が相次いで発見され、それらが被告人の妻子の死体であることが判明したため、被告人は、警察から任意出頭を求められ、連日取調べを受けた。被告人は、当初は、妻子は家出したものと思うと犯行を頑強に否認し続けていたが、同月二四日に至り、自分が妻子を殺害してその死体を投棄した旨の供述をするに至り、「私がやった事」と題する上申書を作成して警察に提出し、翌二五日逮捕され、逮捕当初は、ロープの購入等に関して一部事実を隠していたが、その後事実関係を全面的に供述するに至った。

二  検察官の論旨について

所論は、原判決は、本件の情状について本質的な検討を加えないまま、形式的、皮相的視点で被告人に酌量すべき有利な情状があると過大、不当な評価をし、その結果無期懲役刑を選択したもので、その量刑は著しく軽きに失して不当であるとして、原判決が「量刑の理由」の項において判示する五点についてこれらを不当であると論難し、更に九点にわたって極刑を相当とする理由を指摘するので、以下、所論に即して順次検討する。

1  原判決が、本件各殺人が動機において余りに身勝手で悪質極まるものとまではいえず、衝動的、偶発的犯行に過ぎないと判示したのは不当である旨の所論について

所論は、原判決は、本件各殺害は、いずれも衝動的で短絡的であって、強く非難されるべきであるが、例えば自己の物欲や情欲のため妻子殺害を図るといった、甚だ一方的な利己的目的のため敢行された計画的犯行ではないことは明らかであり、本件各殺人が動機において余りに身勝手で悪質極まるものとまではいえない、なお付け加えると、なるほど以前から憎しみを抱き強めていたことはあったとはいえ、従前その憎しみに基づいて現実に殺意を持ったことも、ましてやそれに従った行動に出たこともなかったのであるから、本件殺人をもって計画的であるとか、それと同視できるとかはいえず、衝動的、偶発的な犯行に過ぎない旨判示している、しかし、(一)本件が計画的な犯行ではなく、衝動的、偶発的な側面があることは否定できないとしても、その結果が重大で、犯行の動機があまりにも自己中心的で身勝手極まりなく、かつ、犯行態様が悪質である場合は、衝動的、偶発的な側面があるといっても、それを有利な情状として考慮すべきではない、(二)計画性を認め難い事犯であっても、被害者に抵抗の術や逃走の余地がなく、犯人が企図したとおりの結果が容易に実現されるような状況下で行われた事犯に対しては、計画性のある犯行に匹敵する悪質性を認めるべきであると主張する。

所論(一)についてみるに、本件の各殺人は、前記一の2ないし6でみたとおりの経緯と動機から敢行されたものであり、計画的犯行ではなく、春子の殺害は、衝動的、偶発的であり、他方、子供二人の殺害は、春子の殺害がなければなかったという意味において、衝動的、偶発的側面がある。そして、犯行が計画的であるか、衝動的、偶発的なものであるかは、犯行の結果、動機、態様とは一応別個に考慮すべき事項に当たるから、所論の見解には従えない。

所論(二)についてみるに、所論のいうような状況下で行われた犯行であっても、その点は、犯行態様に関する重要な事情として考慮すれば足り、直ちに計画性のある犯行に匹敵する悪質性を認めるべきものとはいえないから、所論の見解には賛同できない。

2  原判決が、本件犯行の背景及び誘因としての夫婦不和と夫婦喧嘩の繰り返しについて考察すると、被告人の責めにのみ帰することができない面があり、斟酌すべき事情があると判示したのは不当である旨の所論について

所論は、原判決は、本件犯行の背景及び誘因としての夫婦不和と夫婦喧嘩の繰り返しについて考察すると、被告人の浮気という夫として無責任な行動がその契機であり理由であったことはいうまでもないが、結婚に至る経緯や結婚生活の状況等から窺えるのは、二人の間においては、当初から精神的繋がりが希薄で、夫婦生活の体をなしておらず、かえって不満を述べ相手の欠点を責めるのに急で隔たりを大きくするのみで、憎しみをかき立て合い増大させていったということであり、二人の互いの行動が原因となり影響し合っていて、ひとり被告人の責任とはいえない、犯行の背景及び誘因には、被告人の責めにのみ帰することができない面があり、斟酌すべき事情がある旨判示している。しかし、被告人には、妻に対し貞操を保持するとの価値観、結婚観が全く認められず、これに対し、春子は、被告人との結婚を素直に喜び結婚生活を維持しようと懸命の努力をしていたことが窺われ、春子が被告人の価値観、結婚観を理解し、協力し合おうとの態度を示さなかったとしても何人もこれを非難できない、夫婦不和と夫婦喧嘩の繰り返しは、被告人の度重なる浮気が原因であり、忍耐と限度を超えた春子が被告人に対しヒステリックな行動に出たというのが実情であり、責められるべきは、春子に常軌を逸したヒステリックな振る舞いをさせてもなお浮気を続けた被告人であり、春子に責められるべき事情はないと主張する。

被告人が春子と結婚するに至った経緯及び結婚生活の状況は、前記一の2ないし4のとおりである。

それらの経緯及び状況からみると、被告人ら夫婦の不和、喧嘩の原因は、被告人の度重なる浮気にあり、春子が被告人の価値観、結婚観を理解しなかったからといってこれを非難できないのは所論のいうとおりと認められる。しかしながら、結婚生活が破綻していったことについては、原判決の説示するような理由で、被告人の責めにのみ帰することができない面も否定できず、斟酌すべき事情があるとした原判決の説示が不当であるとはいえない。所論は採用できない。

3  原判決が、本件殺人の手段方法は特に苦しみを増大させるような残酷あるいは凄惨な方法とはいえず、未だ悪質な手段方法であるとはいえないと判示したのは不当である旨の所論について

所論は、原判決は、殺人の手段方法は、妻に対してはロープで首を絞め、その後両手で鼻、口を押さえて窒息死させ、二人の子供に対しては寝ているところをいずれも首をロープで絞め、さらに一人に対してはハンカチ様の布で鼻、口を押さえ、いずれも窒息させたものであり、特に妻に対してはかなり長い時間にわたって絞めあるいは押さえており、非情なものであるとはいえるが、しかしその方法は、特に苦しみを増大させるような残酷なあるいは凄惨な方法とはいえず、未だ悪質な手段方法であるとはいえないと判示しているが、各被害者の殺害は、いずれも被告人の圧倒的に優位な体力を背景に、各被害者が全く無防備の状態にあるのに乗じて敢行されたもので、その態様も相手が窒息死するのを確認するまで攻撃を緩めておらず、執拗かつ冷酷極まりなく、残忍で悪質なものであり、それ以上に刃物で止めを刺す等の方法をとらなかったからといって、ことさら被告人に有利な影響を及ぼす情状として認めるのは失当であると主張する。

本件各殺害の手段方法は前記一の5、6でみたとおりであり、非情で執拗かつ冷酷なものであることは明らかである。原判決は、本件の手段方法は、本件よりもっと残忍、悪質な態様の事案とは異なることを量刑の一事情として斟酌したものであって、それ以上の趣旨を含むものとは解されない。所論は採用できない。

4  原判決が、被告人のこれまでの経歴をみると犯罪を繰り返すような顕著な反社会性は認められないと判示したのは不当である旨の所論について

所論は、原判決は、被告人の人格についてみると、思慮の浅薄さ、場当り的思考、さらに真摯性の希薄さなどが目立ち、女性関係にしても、交際を重ねても例えば人間としての情愛を育み、人間性を向上させるということもなく、ただエゴイスティックに振る舞うだけであり、右人格が本件各犯行の底流にあり、随所に現れているといえるが、一方において、被告人のこれまでの経歴をみると犯罪を繰り返すような顕著な反社会性は認められず、被告人の人格に右のような面がみられるとしても、それが犯罪に結びつくものではない限り、それゆえに刑罰をより重くする理由にはならない旨判示している、しかし、本件犯行の一連の経過にかんがみれば、被告人の反規範的、反社会的人格は顕著であり、かような人格構造は、被告人自身が長年にわたって形成してきたもので、将来矯正することが期待できない極めて危険な程度に達していることが本件において露呈したとみるのが合理的であり、原判決は、人間の行為が人格及び価値観の具体的産物であることを看過しており、経歴のみを取り上げてこれをことさら被告人に有利な量刑事情としたことは、承服できないと主張する。

被告人には、平成四年速度違反により罰金刑に処せられた前科があるのみで他に前科前歴もなく、本件まで医師として真面目に勤務しており、これまでの社会生活において、被告人に犯罪性向を窺わせる点は認められない。被告人は、妻子のある身でありながら、度重なる浮気を続けており、その女性観、倫理観に問題の存することは明らかであるが、そうであるからといって、直ちに犯罪性向に結びつくものではない。本件犯行の一連の経過が反規範的、反社会的であることは勿論であるが、被告人のこれまでの経歴も考慮すると、被告人の人格までが、反規範的、反社会的であるとはいえない。被告人は、本件当時二九歳で、医師としての勤務経験も四年余りに過ぎず、年齢の割には社会経験に乏しく、その人格は、未だ未熟であって、その人格構造が将来矯正することが期待できない状態に達しているものとはいえない。原判決の説示は相当であると解され、所論は採用できない。

5  原判決が、被告人は本件について深い真剣な反省悔悟の態度を示しており、今後その人格陶冶が図られる可能性も高いと判示したのは不当である旨の所論について

所論は、原判決は、被告人は、本件一連の犯行を一旦自供するに至ってからは、素直に取調べに応じ、詳細に事実を話し、捜査段階から公判を経て、自己の犯行の重大さ、さらに犯行の背景になった人格の未熟さ、人間性の至らなさを今更ながら認識するとともに、本件について深い真剣な反省悔悟の態度を示しており、今後その人格陶冶が図られる可能性も高いと判示しているが、被告人が真に本件を反省悔悟しているか疑問がある上、仮にそうとしても、本件結果の重大性、犯行態様の凶悪、残忍性、非人道性を考慮すれば、これを量刑に有利な影響を及ぼす事情としてことさら評価することは誤っていると主張する。

後記11で検討するように、現在被告人には深い真剣な反省悔悟の情が認められる。被告人に反省の情が認められるか否かは、犯行の結果、態様とは別個に考慮すべき量刑事情であり、原判決も、これをことさら有利な事情として評価したものでないことは、判文から明らかであり、所論には賛同できない。

6  本件が世上稀にみる凶悪重大事犯である旨の所論について

所論は、自己の非を棚に上げ、庇護すべき妻子三人をいとも簡単に殺害した上、その罪跡を隠滅するため、死体を海中に投棄した被告人の行為は、人の心を持った者がなし得ることとは到底思えず、悪鬼羅刹の所業にも似た、天人ともに許さざるものと言うほかなく、本件は、その罪質からして世上稀にみる極めて凶悪にして重大な殺人、死体遺棄事件であり、被告人の被害者に対する贖罪は、極刑を甘受することによって償う以外にないと主張する。

本件が世上稀な重大事犯であることは所論のいうとおりであり、原判決も同様の見解に立っていることはその判文から明らかである。本件が極刑を相当とする事案であるかどうかは、記録に現われた全ての事情を検討した上、後記15で示すこととする。

7  本件各被害者には落度はない旨の所論について

所論は、(一)夫婦喧嘩が繰り返され、春子がヒステリックな言動に及ぶようになり、それにより夫婦不和が拡大していき、遂に本件に至ったのであるが、それは全て被告人の度重なる浮気が原因であって、被告人に責任があり、春子には何等責められるべき点はない、(二)犯行直前、春子がヒステリックな状態となって被告人を罵倒した上、自ら首にロープを巻きつけるなどして、本件犯行を誘発するが如き行動に及んでいるが、それまで夫の浮気に耐えに耐えてきたのにことごとく裏切られてきた春子の心情に思いを致せば、同女が一時的にそのような言動に及んだとしても、誠に無理からぬところで、何人もこれを非難できるものではなく、被告人の犯行を誘発した一因として、本件の責任の一端を春子に帰せしめることは、本件の本質を見誤っている、(三)子供二人にも、本件犯行を誘発した落度は皆無であると主張する。

所論(一)についてみるに、前記2で検討したように、夫婦不和と夫婦喧嘩の繰り返しについては、その責任の殆ど全部は被告人にあるものの、春子にも全く責任がないとはいえないから、所論は採用できない。

所論(二)についてみるに、犯行直前の春子の言動が犯行を誘発したことは明らかであるが、春子の右言動は、もとはといえば、被告人の度重なる浮気がもたらしたものであって、春子の殺害が偶発的、衝動的な犯行であることの一事情とはなるが、これを目して春子に落度があるものとはいえない。原判決も春子の右言動を捉えて春子に落度があるものと判示しているわけではなく、所論と同様の見解と解される。

所論(三)についてみるに、所論のいうとおり、子供らに落度は全く認められないが、原判決も同様の見解に立っていることは、判文から明らかである。

8  本件各犯行の動機には酌量すべき点は皆無である旨の所論について

所論は、本件各犯行の動機は、余りにも身勝手、自己中心的であり、酌量すべき一片の余地もないとして、(一)春子が離婚を拒否し、被告人の浮気を責め、浮気相手のいる病院を辞めるよう求めるのは妻として当然であり、何等非難されるべき点はなく、被告人は、自己の非を何等省みず、春子殺害を決意したものである、(二)太郎及び花子の殺害の動機について、被告人は、主たる理由は、母親を失った上、殺人犯の子供として生きていくことが不憫に思えたためである旨供述しているが、被告人の犯行前後の言動に照らし、極めて不自然、不合理であって到底信用し難く、被告人が同児らを殺害したのは、主として、乙川との結婚に子供達が邪魔であるとの感情が強く働いたからである、(三)死体遺棄についても、自己の犯跡を隠蔽するのみで、これまで共に生活してきた妻子に対する憐憫の情や思い遣りは全く認められないと主張する。

所論(一)についてみるに、春子が離婚を拒否し、浮気を責めるのは当然であり、ただ浮気相手のいる病院を辞めるよう要求したのは、被告人が同病院に勤務するに至った経緯にかんがみると、被告人にとっては簡単に受け容れることのできないものであるが、これとても、妻の立場からは無理からぬ要求といえ、被告人が自己の非を省みることなく、本件に及んだのは、甚だ衝動的、自己中心的、短絡的でって、動機に酌量すべき点はなく、強く非難されるべきは当然である。原判決も、殺人の動機については、本件よりもっと悪質な事案と比べて悪質極まるものとまではいえないとするものの、同様の見方をしているものと考えられる。

所論(二)についてみるに、前記一の4、7、8でみたとおり、被告人の犯行前後の言動は、所論の主張するとおりと認められるが、他方、被告人が子供を可愛がっていたことは関係者が一致して供述するところである。被告人は、子供を殺害した理由について、捜査段階後半の平成六年一二月八日付け検察官に対する供述調書及び一二月一一日付け司法警察員に対する供述調書において、子供が邪魔だから殺そうという考えはなかったが、春子が憎いと考えていた当時、子供を春子と切り離して考えることができず、邪魔という気持が心の片隅にあったため、子供を殺してしまおうという方に考えが向かってしまったとしか思えないと供述しているほかは、逮捕の直前から原審公判廷に至るまで、母親を失い、父親がその殺人者となってしまった、逮捕されたら両親のいない子供になってしまい、可哀想だ、不憫だと考え、母親のいる天国に一緒に送ってやろうと思ったからである旨供述している。確かに所論指摘の被告人の言動の中には、子供達を不憫に思ったとの供述の信用性に疑いを生じさせるものがあるが、未だ右供述の信用性を否定するには足りない。被告人は、子供達を不憫に思い、春子が憎いと考えていた当時邪魔という気持が心の片隅にあったこともあって、殺害を決意したものと認めるのが相当であり、所論は採用できない。

所論(三)についてみるに、死体を遺棄した行為が殺人の犯跡を隠蔽するためで、妻子に対する憐憫の情や思い遣りの認められないものであることは、所論のいうとおりであり、動機に何ら斟酌すべき点は認められない。原判決も同様の見解に立っていることは判文から明らかである。

9  本件各犯行の態様は執拗かつ残忍である旨の所論について

所論は、(一)春子の殺害は、同女が苦悶するのを目の当たりにしながら、いささかの哀れみをかけることなく、殆ど意識を失っている同女の鼻と口を五分ないし一五分間もの長きにわたり両手で強く押さえつけており、あたかも宿怨の仇敵に対する憎悪をむき出しにしたかのような執拗かつ冷酷非情で残忍な犯行である、(二)子供二人の殺害は、当初から殺害の意図で二階寝室に赴いている上、ロープや手で執拗に攻撃を加えているのであり、無心に眠る幼児二名に対し、その頚部にロープを巻き付け宙吊り状態にし、もがき苦しむのを意に介さず、あたかも虫けら同然に次々と殺害したもので、綿密、周到に用意された計画的犯行にも比肩し得る卑劣で冷酷かつ残忍な犯行であり、悪質極まりない、(三)被告人は、自己の犯跡をくらますため、橋の上から妻子三名の死体を、まるで空き缶を投げ捨てるように次々と海中に投げ捨てており、誠に悪質極まると主張する。

前記3及び8で検討したように、本件各犯行の態様が非情、執拗かつ冷酷で悪質なものであることは、所論のとおりである。原判決も、殺人の態様については本件よりもっと残忍、悪質な手段方法と比べれば特に残忍、悪質な事案とは解されないとしているものの、同様の見方をしているものと解される。

10  犯行後の行動をみても極めて自己中心的で各被害者に対する憐憫の情のかけらもない旨の所論について

所論は、犯行後の被告人の行動をみても、極めて自己中心的であり、被告人は、乙川と結婚するため、当初から完全犯罪を目論んでいたのではないかとさえ思えるもので、重大犯罪を犯した者としての良心の呵責や、被害者に対する憐憫の情のかけらも認められないと主張する。

前記一の7、8でみたように、所論指摘の各事実が認められ、犯行後の被告人の行動に良心の呵責や、被害者に対する憐憫の情が認められないのは、所論のいうとおりと認められる。原判決も同様の見解に立っていることはその判文から明らかである。しかしながら、前記1及び8で検討したとおり、本件が計画的犯行でないことは明らかであり、所論が、当初から完全犯罪を目論んでいたのではないかとさえ思われると主張する点は、採用できない。

11  被告人の性格は冷酷で、反省悔悟の念も希薄である旨の所論について

所論は、(一)本件各犯行から明らかなように、被告人には、短絡的、自己中心的、冷酷、残忍な性格が顕著に認められ、犯行後の行動をみても、当時、被告人に反省、悔悟の念が存在していたとは到底認め難く、被告人の冷酷、自己中心的で淫縦腐敗の性向は矯正不能である。(二)被告人は、捜査公判をとおして犯行を全て認め、一応反省悔悟の情を示しているかの如くであるが、勾留中の被告人には、被害者に対する謝罪や本件に対する贖罪を示す言動は一切認められず、真に本件を反省悔悟しているか甚だ疑問であると主張する。

所論(一)についてみるに、被告人の人格には、思慮の浅薄さ、場当り的思考、真摯性の希薄さが目立ち、自己中心的、短絡的な性向が認められ、また、犯行後の被告人の行動には全くといってよいほど反省悔悟の念が認められない。しかし、被告人の生活歴からは、本件犯行を加えてみても、被告人の性格までが冷酷、残忍であるとは認められない。

所論(二)についてみるに、被告人は、本件を自供した直後は、犯行前の行動等について一部事実を隠していたが、その後自己に不利益な事実を含め、全ての事実を全面的に供述し、原審及び当審公判廷においても、事実を認め、自己の犯行の重大さ、人格の未熟さ、人間性の至らなさを認識するに至っていることは明らかである。横浜拘置所内においては、被害者らの写真が差し入れられなかったこともあり、写真に手を合わせたり、写経や読経を行っていないが、他方、被告人は、被害者らの墓のある方向に向いて、朝晩頭を下げて手を合わせ、自分に代わって両親に墓参りを依頼するなど被害者の冥福を祈る行動をとっているものと認められる。これらの点からすると、原判決が説示するとおり、被告人が本件を真剣に反省悔悟していると認めるのが相当である。

12  遺族は今なお極刑を切望している旨の所論について

所論は、春子の母親と弟は、被告人の死刑を強く求めており、これら遺族の深刻な被害感情を慰謝し、厳しい処罰感情に応えるためには、被告人が、自己の生命をもって贖罪するしかなく、原判決を直接見聞きした遺族は一様に原判決の是正を切望していると主張する。

春子の母親と弟が被告人の極刑を今なお切望していることは所論のとおりであるが、原判決が遺族の被害感情も考慮に入れていることはその判文から明らかである。

13  家庭内の犯行であることは極刑を回避する理由とはなり得ない旨の所論について

所論は、原判決は、本件妻子の殺人が、例えば自己の物欲や情欲のため妻子殺害を図るといった、甚だ一方的な利己的目的のため敢行された計画的犯行ではないことは明らかである旨判示し、これを被告人に有利な情状としているが、右の判示は、本件が家族に対する家庭内の犯行であり、一般人に対する殺人事件に比し、量刑に当たり有利に斟酌すべきであるとの考えに立脚するものと思料される、このような考え方は、本件の実質を顧慮することなく、これを被告人に有利な事情として斟酌したもので、国民の健全な処罰感情を見誤り、国民多数の正義感に反する皮相な独断的偏見であり、本件については、家庭内の犯行のゆえをもって極刑を回避するのは誤っていると主張する。

所論指摘の原判決の説示は、本件が物欲や情欲のための計画的犯行ではないことを量刑上考慮したという趣旨を示しているに止まり、所論のいうように家庭内の犯行のゆえをもって量刑上有利に斟酌したものとは解されない。所論は前提を欠く。

14  他の同種事犯との比較をいう所論について

所論は、(一)昭和五四年七月一〇日以降平成八年七月末日までの間に一審判決が言い渡された死刑求刑事件は、一一五件一二八名であるところ、そのうち死刑判決が確定したのは、四〇件四六名、一審において死刑が言い渡され、上訴審に継続中のもの二四件二七名の合計六四件(六三件というのは誤記と思われる。)七三名に及んでおり、このうち被害者が二名以上の事犯は、四九件五七名であり、本件のように被害者数が三名にも及ぶ事犯については、被害者によほど重大な落度が認められない限り極刑をもって臨んでおり、本件は最高裁判所の示した基準によっても死刑判決を言い渡すべき事案であった、(二)本件と比較的類似した内容をもち死刑が確定した事件として(1)千葉地裁昭和五九年三月一五日判決、(2)浦和地裁昭和六一年五月三〇日判決、(3)佐賀地裁昭和六二年三月一二日判決、(4)岐阜地裁平成元年一二月一四日判決の四件をあげ、これら他の同種事犯と比較しても極刑を回避する理由はないとし、本件との類似点を指摘している。

所論(一)についてみるに、弁護人が答弁書で指摘するように、所論が主張する期間中の判決例として四件が欠落していることが明らかであり、その統計的正確性に疑問がある上、死刑求刑事件のみならず、無期懲役あるいは有期懲役が求刑された事件をも合わせて検討しなければ、量刑傾向を判断するには不十分である。その点はさておき、所論の挙示する判決例一一五件(控訴趣意書別表一)中、被害者が複数の通常の殺人事件(被告人死亡により公訴棄却された事件は除く。)で、物欲、情欲によると思われるもの及びいわゆる公安事件を除いた事件は、一九件(別表一番号6、36、37、38、45、58、62、63、65、68、70、71、72、74、84、85、108、114、115、うち五件は上訴中)があるが、死刑が言い渡された事件が一〇件、無期懲役が言い渡された事件が九件となっており、そのうち被害者が三名以上に及ぶ事件は、一一件あるが、死刑が言い渡された事件が七件、無期懲役が言い渡された事件が四件となっており、所論のいうように被害者の数が三名以上の事犯については、被害者側によほど重大な落度が認められない限り極刑に処せられているとまではいえない。

所論(二)についてみるに、本件のように同居中の妻子三人を殺害し、死体を遺棄した事案は、所論指摘の四件中には見当たらない。右四件の個別的事情をみるに、(1)の事件は、特殊浴場の接客婦であった女性と親密に交際していた被告人が、被告人の将来を案じた両親から同女との交際を断念するよう何度も説得され、これに反発していたところ、父親(五九年)から露骨な言葉で右女性の職業に触れて同女との交際を非難されたことに憤激し、父親を登山ナイフで多数回突き刺して殺害し、さらに、その場に来合せた母親(四八年)を同様に右ナイフで多数回突き刺して殺害した上、殺害の犯行を隠蔽するため、各死体に重しを付けて海中に投棄したという事案であるところ、、被害者に多数の刺切創を負わせる等加害態様がかつ執拗かつ強力である上、犯行後母親の死体から金庫の鍵を奪い、多額の現金を入手し、交際相手の女性と情交関係を持つなどしている。(2)の事件は、被告人が弟を自殺に負い込んだ責任は実父(五三年)にあると一方的に思い込み、三年半にわたって周到な準備を整えた上、実父方に日本刀を携えて赴き、日本刀で実父を数回突き刺して殺害し、逃げまどう内妻(五九年)を同様に数回突き刺して殺害し、更に同女の孫娘(一年)も殺害した事案であるところ、七年以上音信のなかった実父方で敢行した極めて計画的な犯行であり、実父の内妻とその孫は被告人と親族関係のない第三者である上、日本刀で突き刺し、あるいは切りつけており、殊に逃げまどう内妻を追い詰めて殺害している。(3)の事件は、被告人方の水道の蛇口にホースを固定するための金具が紛失したことから、近隣に居住する者の長男がこれを窃取したものと邪推して被害者方に赴いてその心当りを執拗に尋ねるなどし、これに立腹した同家の主人から激しい言葉を浴びせられるや自宅から出刃包丁を持ち出して、再び被害者方に赴いたところ、その際応対した主人の態度に極度に激昂して、同人の胸部を右包丁で二回にわたり力一杯突き刺して殺害し、被告人を制止しようとした同人の妻を突き刺すなどして殺害し、必死になって逃げ回る同人の長男を滅多突きにするなどして殺害したという事案であるところ、被害者らは、被告人の近隣に住む者ではあるが、被告人と殆ど日常の交際がなく、純然たる第三者であり、その態様も自宅から持ち出した出刀包丁で突き刺しており、殊に長男については、必死に逃げ回るのを追い詰め、滅多突きにしており、被告人は、責任を他人に転嫁するなど真摯な反省悔悟の情に乏しい。(4)の事件は、離婚した妻との復縁ができなかったのは、同女の両親(六七年、五七年)及び妹(三二年)が反対したためであると逆恨みをし、これを晴らすために殺害を決意し、刺身包丁を購入して、深夜被害者方に侵入し、被害者三名を包丁で突き刺して殺害したという事案であるところ、計画的犯行である上、被告人は、妻と婚姻した際、両親と養子縁組をし、一時同居していたが、妻と離婚した際離縁し、その約一年後の犯行当時は何等の親族関係もなかったものであり、被告人は、控訴審において犯意を否認するなど反省の情が十分とはいい難い。

このようにみてくると、所論が援用する四件は、本件と類似する点がなくはないが、異なる点が多く、いずれも本件より犯情が悪質な事案とみることができ、それらの事件との比較において本件の量刑が軽過ぎるとの所論は採用できない。

15  まとめ

そこで、以上検討した諸事情を踏まえて本件の量刑を考察する。もとより、死刑の適用は、慎重でなければならず、各般の情状をつぶさに検討し、その罪責が誠に重大であって、罪刑の権衡の見地からも、一般予防の見地からも、はたまた同種事案との権衡の観点からも、極刑がやむを得ないと認められる場合にはじめて死刑を選択すべきものである。

本件の情状については、所論について検討した中でみてきたとおりであるが、本件は、医師である被告人が、勤務先の看護婦らと浮気を繰り返し、自らの非を省みることなく、激情の赴くまま妻を絞殺し、なんら罪科のない我が子二人も絞殺した上、その犯跡を隠蔽するため死体を海中に投棄したという極めて衝撃的で世上稀な重大事犯である。本件は、まずもって、三人もの尊い生命を奪ったという点において誠に重大である。犯行の動機は、身勝手かつ自己中心的、短絡的であり、酌量すべき点はない。犯行の態様も、非情にして執拗かつ冷酷であるというほかはない。被害者らに落度はなく、被告人の浮気に苛まされた挙げ句、無残にも殺害された春子の無念の情は察するに余りあり、就寝中に父親の手によって命を絶たれた幼子は、誠に不憫で哀れである。犯行後の言動をみても、自己保身に終始し、浮気相手と接触を続けるなど罪の意識や被害者に対する憐憫の情も窺われない。春子の実母ら遺族の被害感情が強烈なのも当然であり、本件が社会に与えた影響も大きい。他方、本件には計画性は認められず、春子の殺害は衝動的、偶発的犯行であり、被告人らの夫婦生活が破綻するに至った経緯には、被告人の責めにのみ帰することができない面がある。被告人には、さしたる前科もなく、これまで四年余り医師として真面目に勤務し、犯罪性向は窺われず、更正の可能性も認められ、逮捕されて後は、深く反省悔悟している。さらに、最近十数年間に死刑が宣告された事件と本件とを対比した場合、本件において死刑を宣告しなければ、死刑制度を存置する趣旨や他の事件との権衡という意味における正義に反するとまではいえない。

本件の犯情が極めて悪質であることは概ね検察官指摘のとおりであり、遺族らが極刑を望む気持はもとより当然のこととして理解できるが、他方、被告人に有利に働く事情もないではなく、以上の点を全て総合して考察すると、本件については、極刑がやむを得ないと認めるべき場合には当たらないと解するのが相当である。

そうすると、検察官の死刑の求刑を容れず、被告人を無期懲役に処した原判決の量刑は相当であって、これが軽過ぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。

三  弁護人の論旨について

所論は、原判決の量刑は重きに過ぎて不当であるとして、その理由を四点にわたって指摘するので、以下所論に即して順次検討する。

1  同種類似事案との比較をいう所論について

所論は、本件と類似の同種事案であるとして(1)広島高裁昭和六〇年一二月二四日判決、(2)東京地裁昭和六三年三月一八日判決、(3)水戸地裁平成四年四月九日判決、(4)仙台高裁平成四年六月四日判決、(5)名古屋地裁岡崎支部平成六年三月二八日判決の五件をあげ、これらの事案との比較において、本件が悪質とはいえないと主張する。

所論指摘の各事件は、同居中の妻子を殺害したもの、あるいはこれを含むものであり、それらの点では本件と類似の事案といえる。(2)ないし(5)の事件については、概ね所論の指摘するような事情が認められ、いずれも本件より重い事件といえるが、本件より重い事件について、無期懲役あるいは死刑が言い渡されているからといって、本件について無期懲役に処するのが直ちに重いとはいえないのであって、他事件との比較という見地からは、本件と同程度の事件について、有期懲役刑に処せられるのが通例であることが明らかとなって、はじめて本件の量刑が重過ぎるといい得る。そこで、有期懲役刑に処せられた(1)の事件について、判決文から窺われる事実関係をもとに考察する。被害者の数は、四名であり、本件より重い。犯行の背景事情については、専ら被告人に責任があり、被害者らには全く責任が認められない。犯行の動機は、一家無理心中であり、現に被告人もガス自殺を図ったが果たせなかったもので、激情に任せて妻を殺害し、犯行後一時自殺を考えたものの、行動に移すことなく、間もなく翻意した本件とは大きく異なる。犯行態様は、長女の首を文化包丁で刺すなどしており、本件よりも悪質であるが、犯行後の状況については、死体遺棄は行っておらず、特段非難されるべき点は判文上指摘されていないのであって、死体を遺棄した上、妻らの家出を装い、数々の罪証隠滅行為に及んでいる本件とは大きく異なる。このようにみてくると、本件が(1)の事件との比較において、被告人のために斟酌すべき事情の多い事案とみるのは相当でない。

右の事件をみただけでも、本件と同程度の事件について、有期懲役刑に処せられるのが通例であるとはいえないのであって、他事件との比較において本件の量刑が重過ぎるとの所論は採用できない。

2  原判決が妻子殺害後の死体遺棄を含む行為を無慈悲、卑劣と判示したのは不当である旨の所論について

所論は、(一)原判決は、死体を遺棄した行為や夫や父親としての情を感じさせない無慈悲な行為であり、世人の憤りをかき立てずにはおれないところで強い非難に値すると指摘し、また犯行後、妻子の家出を装う偽装工作を行った点、警察へ家出人捜索願いを出した点、春子の母親からの問い合わせに白を切り通した点、浮気相手の女性と接触し隠蔽工作の一環として同女を利用したとの点をもって、卑劣で強く非難されるべきもの、余りに利己的、打算的であり、罪の意識を欠くこと甚だしいと判示しているが、犯人が罪を免れたいと考えたこと自体を量刑上過大評価することはできず、被告人の心情としてみる限り、死体遺棄が無慈悲とはいえないし、その他の偽装工作も卑劣とはいえない、死体を海中に投棄したのは妻子への憐憫の情からであり、原判決が永遠に葬り去るつもりと判示しているのは当を得ていない、原判決が浮気相手の女性を利用したと判示しているのは、明らかに量刑事情に関する事実の誤認であり、被告人は、同女から不審に思われないために平静を装ったに過ぎない、(二)犯行後の状況が量刑上考慮されるのは、改悛の情、犯罪性向、反社会性を検討する資料として考慮されるに過ぎず、有期懲役と無期懲役を分ける分水嶺となるものではないと主張する。

所論(一)についてみるに、前記二の8及び9で検討したとおり、死体遺棄行為が殺人の犯跡隠蔽のために行われた無慈悲な行為であって強い非難に値することは明らかである。被告人は死体に重しを付けて沖合に流れることを期待して投棄しており、憐憫の情に出たものでないことは明らかである。原判決が永遠に葬り去るつもりで死体遺棄に及んだと判示したのは相当であって、所論の批判は当たらない。

次に、家出を装い、罪証隠滅行為をした点は、前記二の10で検討したとおり、良心の呵責の認められない卑劣な行為といわざるを得ず、所論のいうような春子の母親からの問い合わせを受けての行動であったとしても、その評価に差異を生じさせるものとはいえない。

また、浮気相手の女性を利用したとの点については、前記一の8でみたとおりであり、被告人の行動は、所論のいうような乙川から被告人が疑われないように平静を装うためのものとは解されず、犯跡隠蔽工作の一環として同女を利用したとの原判示は相当であって、所論のいうような事実誤認は認められない。

所論(二)についてみるに、殺害後の死体遺棄を含む行為は、被告人の改悛の情、犯罪性向、反社会性を検討する資料となるにとどまるものではなく、それ自体独自の量刑事情としての意味を有するものである上、原判決は、犯行後の状況だけから有期懲役と無期懲役を分けているとは認められないから、所論の見解には従えない。

3  原判決が医師という一定の社会的地位にあること及び社会に与えた反響を指摘するのは不当である旨の所論について

所論は、(一)医師という社会的地位は、これが犯された犯罪との関係で職業的地位もしくは知識を利用したのでない限り、重く処罰する理由とはなり得ない、(二)一般予防の観点から、社会的影響を考慮するのは合理的であるが、本件における社会的反響の中身は、医師という職業にある被告人の家庭に起きた悲劇に対する覗き身的な関心であり、一般予防の観点とは無関係であると主張する。

所論(一)についてみるに、被告人は、大学で六年間専門的な高等教育を受け、医師として四年余の経験を積んでいるのであるから、その職業倫理上生命に対する尊厳の念を普通以上に期待されているということができ、そのような被告人が妻子三名の殺害という重大事犯を犯した点は、強い非難に値するのは当然である。所論は採用できない。

所論(二)についてみるに、本件が世上稀な重大事犯であって、社会に大きな衝撃を与えた事件であることはいうまでもなく、本件の社会的影響を量刑上考慮するのは当然である。本件が家庭内での犯罪であるからといって、一般予防と無関係であるともいえず、原判決の説示は相当であり、所論の批判は当たらない。

4  本件においては春子の母親ら遺族の被害感情を量刑上考慮するのは慎重でなければならない旨の所論について

所論は、春子の母親の被害感情は誤った事実認識や心ない興味本位の報道によって増幅されたものであり、その全てが被告人の本件犯行に原因するとはいい難い上、もともと遺族の被害感情は、有期懲役と無期懲役とを分ける事情にはならないと主張する。

春子の母親ら遺族の被害感情は、前記二の12でみたとおり、極刑を切望するものであるが、所論のいうような事情により増幅されたものであるとしても、その根幹部分は、被告人の本件犯行により生じたものであることに疑いはなく、所論は採用できない。

5  まとめ

前記二の15でみたとおり、本件における諸々の情状を総合考慮すると、被告人を無期懲役とした原判決の量刑は相当であって、前記1ないし4の所論及びその他の所論に即し逐一検討しても、これが重過ぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。

第三  結論

よって、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却し、当審における訴訟費用は、同法一八一条一項ただし書により被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤文哉 裁判官 金山薫 裁判官 永井敏雄)

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